バルセロナ五輪後のACB 1992-93シーズンまとめ

そもそも1992年以前のこと

ACB創設は1983年(1957年から全国リーグはあったがプロリーグACBは1983年から)、1983-84シーズンからレアル・マドリードが3連覇、1986-87からバルサが4連覇、1990-91,1991-92シーズンはジュベントゥットが2連覇という歴史があって、バルセロナ五輪という流れです。
そのバルセロナ五輪までの10年であった事というと、

  • 1984年ロサンゼルス五輪で銀メダル
  • 1986年7月スペインで開催の世界選手権、スペインは5位
  • 1986年スペイン人初のNBA選手フェルナンド・マルティン誕生
  • 1986年10月、1992年の五輪開催地がバルセロナに決まる
  • 1988-89 レアル・マドリードでドラゼン・ペトロビッチがプレー
  • 1989年A.サボニスがバリャドリードと契約、89-90,90-91,91-92とプレー

※F.マルティンは1989年12月に事故死
※A.サボニスは五輪後レアル・マドリードと契約

バルセロナ五輪でスペインは9位

大会期間は1992年7月25日から8月9日、地元スペインは悪夢の9位となりアントニオ・ディアス・ミゲルHCが退任となる。メンバーは次の12名(括弧内は大会前91-92の所属 / 移籍は無)

ビジャカンパ、ホフレサ兄弟、(以上ジュベントゥット) アルセガ、アルダマ、アンドレウ(以上サラゴサ)ビリウコフ(以上レアル・マドリード)A.ヒメネス、エピ(以上バルサ) チャビ・フェルナンデス(レオン)A.エレーロス、オレンガ(以上エストゥディアンテス)
大会の詳細については1992年地元でのバルセロナ五輪(男子)メンバーと結果(記録)をご覧ください

1992-93シーズン

スペイン1部リーグは22チームで1992年9月19日開幕、レギュラーシーズンは各チーム31試合で1993年3月28日まで。その後すぐにプレーオフが始まり、5月23日まで。他にシーズン中、下記スケジュールがあります。

ACB(9/19から5/23)
欧州カップ戦(10/29から4/15)
コパデルレイ(10/1から3/7)上位チームはシード
代表戦(11/11,14,18に3試合ユーロ93予選 / スペインは予選無しだがリーグは中断)
オールスターゲーム(11/14にイタリアリーグと一緒に開催)

ACBレギュラーシーズン 11/10 第11節まで

全22チームでレギュラーシーズンが各チーム31試合、どういうフォーマットだったかというと2つの組に便宜上分かれました。しかし東西や南北で分かれたりしたけではなく、またグループAとBと言った名前もついていなかったようです。

そして2つの組の戦力バランスをとるどころか、1991-92シーズンの成績順にグループ分けがされました。つまり上位クラブ11チームと下位クラブ11チームに分かれたのです(前年度シーズンの成績より)

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レギュラーシーズン31試合の内訳

例えばレアル・マドリードは左側の上位グループ(11チーム)なので、まず右側の下位チーム11チームと戦い11試合を消化、次に上位グループの10チームとホームアンドアウェイで10×2の20試合を消化、合計して31試合がレギュラーシーズンとしていました。

例えば右側の下位グループ(11チーム)のカハ・サン・フェルナンド(前年度19位)は、まず左側の上位チーム11チームと戦い11試合を消化、次に下位グループの10チームとホームアンドアウェイで10×2の20試合を消化、合計して31試合がレギュラーシーズンという形です。

9/19開幕から11月中旬の中断まで11試合消化

前述のように11月中旬に代表戦とオールスター戦の中断期間があるので、そこまでに11試合を消化する日程でした。どうやら各チームは自分のいるグループではないほうのチーム(11チーム)との試合を最初に消化したようです。

※どちらがホームゲームなのか、どうやって決めていたかは不明

さて各チーム11試合消化時点での成績はどうだったのでしょうか…結論から言うと上位グループの方が優勢ですよね。

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ただオールスター明けの第12節以降、上位グループは上位グループ同士でホームアンドアウェイなので「星の潰し合い」で成績は伸び辛くなるでしょうし、下位グループは下位グループ同士のホームアンドアウェイなので上位進出の可能性も出てくるんじゃないでしょうか。

実は10節11節で上位同士対決、下位同士対決は始まっていました

当たり前ですが中断明けに上位は上位で、下位は下位でホームアンドアウェイで戦うと言っても11チームずつの奇数グループです。なのでどうしても中断明けに上位対下位を入れていく必要があります。そのため辻褄をあわせるためにすでに第10節、第11節ではその端数の試合分同グループ対決を実施していました。(これ文章にして説明するには複雑すぎるな~)

代表戦 リーグ中断(11/11 – 11/18)

1992年11月11日、14日、18日が代表スケジュールのために空けられていました。調査しましたがスペイン代表は活動した形跡がなく、スペインとしては11月14日にイタリアリーグと共同でオールスターゲームを開催していました。というのもこの期間のFIBA国際マッチデーは、1993年のヨーロッパ選手権の最終予選の試合があって、クロアチア、ラトビア、ウクライナ、ベラルーシ、エストニア、スロベニア、ポーランド、ボスニア・ヘルツェゴビナの試合があったのだと思われます。
XXVIII EUROPEAN CHAMPIONSHIP (MÜNCHEN 1993)QUALIFYING STAGE

オールスターゲーム 11/14

1992年11月14日にマドリードで開催されました、この年はイタリアリーグとの共同開催でしたので、FIAT ACB All Star Team 対 Polti Lega A All Star Teamという対戦でした。出場メンバーは詳細不明ですが、136対123でACBが勝利、A.サボニスがMVPを受賞しています。(イタリア語版ウィキペディア

3Pコンテスト

スペインのエストゥディアンテス所属のDanko Cvjetićaninが優勝

ダンクコンテスト

スペインのオウレンセ所属の新卒アメリカ人SFのチャンドラー・トンプソンが優勝

ACBレギュラーシーズン 11/19 第12節から28節まで

1992年11月19日にリーグ戦が再開、今節から基本的に上位グループ同士、下位グループ同士の対戦が始まり、しかも2回戦の総当りです、1993年2月28日の第28節まで進みます。(レギュラーシーズンは31節まで)

クラシコ

第15節にマドリードホームでレアル・マドリード対FCバルセロナ
第26節にバルセロナホームでFCバルセロナ対レアル・マドリード

コパデルレイ 3月4日から7日

1992年10月1日から1回戦、2回戦、3回戦(いずれもホームアンドアウェー)のトーナメントを戦いぬき、ベスト8に残った8チームが3月4日から7日に1発勝負のトーナメントで決着をつけるファイナルラウンド的なコパデルレイです。

クォーターファイナルの対戦カードは下記の通り

  • マルベージャ・ジュベントゥット対TDKマンレサ
  • レアル・マドリード・テカ対カハ・サン・フェルナンド
  • エストゥディアンテス対バンコ・ナトウェスト・サラゴサ
  • タウグレス対FCバルセロナ・バンカ・カタラーナ

いわゆる上位グループのチームが6チーム、下位グループのチームが2チーム

決勝はレアル・マドリード・テカ対マルベージャ・ジュベントゥット

MVPは大会3位になったタウグレスのジョー・アルラウカス(QFの対バルサ戦で29得点、SFの対レアル・マドリード戦敗れたものの32得点、3位決定戦の対サラゴサ戦で32得点)

ACBレギュラーシーズン 第29,30,31節

全日程を消化して結果は下記の通りです、上位16チームがプレーオフに進出です。
92-93 順位表

※上記画像はプレーオフ1回戦の結果を加味した順位になっています(9位にいるウニカハは19勝していますがプレーオフ1回戦で敗れてベスト8入りならなかったためこの位置)
※前年度結果の上位グループ11チームのうちバリャドリードが18位となりプレーオフ進出を逃しました
※前年度結果の下位ブループからは19位だったカハ・サン・フェルナンドが5位に躍進、21位だったオウレンセも11位に浮上しています
※上位10チーム、下位6チームによるプレーオフです

外国人枠は?

1992-93シーズン当時はEU選手枠などはなくスペイン人選手以外は外国人で、外国人枠は3でした。また帰化選手の数の制限については不明ですが、外国人3人+帰化選手は問題なかったようです。ちなみに1991-92シーズンの外国人枠は2、今季から3になりました。

RS1位:レアル・マドリード

1985-86シーズン以来リーガ制覇をしていないレアル・マドリードはバリャドリードでプレーしていたアルヴィーダス・サボニスと契約、外国人残り2人は昨季から続けてマーク・シンプソンとリッキー・ブラウンを起用、さらにバルセロナ五輪スペイン代表のホセ・ビリウコフがいて、代表レベルのアントニオ・マルティン、フェルナンド・ロマイ、ホセ・ミゲル・アントゥネスとビッグネームを揃えたチームでした。レギュラーシーズンは25勝6敗1位でプレーオフ進出。3月のコパデルレイを制覇した勢いでプレーオフへ。

RS2位:ジュベントゥット

1990-91シーズン、1991-92シーズンに続きリーガ3連覇を狙う中、24勝7敗レギュラーシーズン2位。バルセロナ五輪スペイン代表のPGラファ・ジョフレサとSFジョルディ・ビジャカンパがチームの中心、またNBA経験のある3人のUS選手がいる他、スペイン国籍をとったアメリカ人マイク・スミスも所属。さらに今季終了後にスペイン代表入りするフェラン・マルティネス、トマス・ジョフレサ、フアン・アントニオ・モラレスまでいるビッグクラブ。3月のコパデルレイでは準優勝したばかり。

例)1993年2月14日第26節のエストゥディアンテス戦

アメリカ人選手3人+帰化選手のマイク・スミスも同時にプレーしています、BOXはこちらから

RS3位:FCバルセロナ

バルセロナ五輪スペイン代表のSFアンドレス・ヒメネスが中心、US選手はオーディ・ノリスとマイク・ジョーンズ、外国籍ではユーゴスラビアのゾラン・サビッチが在籍、代表レベルではJ.L.ガレリア、エピ、J.A.モンテロがいたが、他チームに比べてやや層が薄いか。

RS4位:エストゥディアンテス

21勝10敗で4位でプレーオフ進出、リッキー・ウィンズロウとアルベルト・エレーロスが中心、代表レベルではPGのナチョ・アソフラと後にスペイン代表HCになるフアン・アントニオ・オレンガがいました。他に外国人選手は元NBAのジョン・ピノンとバルセロナ五輪クロアチア代表のDanko Cvjeticanin(3Pコンテスト優勝)

RS5位:カハ・サン・フェルナンド・セビーリャ

昨シーズンは14勝20敗19位でしたが、外国人枠2→3の恩恵もありジローナから獲得したダリル・ミドルトン、NBA経験もあるダレル・ロックハート、ウエスカから獲得したブライアン・ジャクソンの3人の外国人選手がフル稼働で大躍進しました。なおダリル・ミドルトンは全試合に出場平均36分間のプレーで23.5得点7.1リバウンドでレギュラーシーズンのMVPです!なおPGでチームを牽引したのはスペイン人のトーニョ・ジョレンテで彼も新加入の選手でした。また27歳のスペイン人SFカルロス・モンテスはスティール王(平均3.1)でした。

RS6位:ウニカハ・マヨラル

RS7位:バレンシア

RS8位:エロスア・レオン

17勝14敗で8位、バルセロナ五輪スペイン代表のSFチャビ・フェルナンデスが平均18.7得点でチームを牽引した。

RS9位:タウグレス

パブロ・ラソがアシスト王(平均7.5)のタイトル

RS10位:サラゴサ

16勝15敗10位、バルセロナ五輪スペイン代表のPGのホセ・アンヘル・アルセガと代表Cのキケ・アンドレウがチームの中心、3人のアメリカ人選手も平均2桁得点を記録した。

RS11位:コレン・オレンセ

15勝16敗11位ですが、昨季の19位から躍進。昨季終盤からチームを率いるアメリカ人のティム・シーが、NBA選手のアンドレ・ターナー、ACBで経験豊富なベテランセンターのクラレンス・ケア、新卒アメリカ人SFのチャンドラー・トンプソンと率いて、一気に勝利数を伸ばしました。

個人成績

http://www.linguasport.com/baloncesto/nacional/liga/ESTAD93.htm

ACBプレーオフ

22チーム中16チームがプレーオフ出場

Finalはレアル・マドリード対ジュベントゥットでしたが、3勝2敗でレアル・マドリードが競り勝ちました。

欧州カップ戦

FIBAユーロリーグ

レアル・マドリード、ジュベントゥット、エストゥディアンテスが参戦

FIBAコラックカップ

バルセロナ、レオン、タウグレスが参戦

FIBAヨーロピアンカップ

サラゴサが参戦

降格チームプレーオフ

ムルシアとジリアが降格、しかしグラノジェルスが財政問題から降格でムルシアは残る。さらにその後1993-94シーズンは20チームになり、昇格チームは無

ロロ・サインス新HC体制でユーロバスケット1993

大会期間は1993年6月22日から7月4日、スペインは5位。バルセロナ五輪からモラレス、アソフラ、クレスポ、F.マルティネス、A.マルティンの5人が新加入(復帰含む)となった。メンバーは次の12名(括弧内は92-93の所属)

ビジャカンパ、ホフレサ兄弟、モラレス、F.マルティネス(以上ジュベントゥット) A.ヒメネス、エピ(以上バルサ) A.エレーロス、オレンガ、アソフラ(以上エストゥディアンテス)クレスポ(レオン)A.マルティン(レアル・マドリード